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世良公則さんロングインタビュー Vol.4

世良公則さん日本屈指のロックボーカリスト、世良公則さん。そのロングインタビューの第4弾です。バンド活動のために大阪の大学へ入学した世良さんのその後です。



世良公則さん変わり者が多いだろうと、芸大へ

■「バンドをやるために大学へ行きたい」、というのは正直にお父様におっしゃったんですか?

「バンドのみんなで大阪へ行きたいんだ。だから大阪の大学を受けます」と。
で、なおかつ「受験勉強をしてるヒマがあったら、できるだけベースを弾いていたいので、なるべく試験の簡単なところに行きたいです」と。
で、僕は大阪芸大に入ったんですよ。

大阪芸大っていうのは、一般の入試は小論文と面接だったんです。京都の大学も受けて、一応受かったんです。そっちのほうが、当時はいい大学だったんだけど、京都から大阪まで出てくるのはいやだなと思って。バンドは大阪で活動するつもりだったんでね。で、じゃあ大阪にしよう。しかも芸大だ。


大阪芸大だから、変わった音楽をやってるやつとか、デザインをやっているやつとか、いろんな変わり者がいるだろうって(笑)。そういう匂いのするところに行きたいなあと思って、迷わず大阪芸大に行ったんですけど......。京都に行くより遠かったんですよ、実は。

■あら!

富田林のド田舎(笑)、っていうか。大学が南河内のド田舎にあるもんで。えっらい南のはずれにあって。「なーんだ。北の京都へ行くのも同じじゃないかって(笑)」って友だちに言われたんですけど。

■あははは。

でも、試験に行ったときの雰囲気っていうんですかね、先輩たちを見たらジョン・レノンみたいなやつとか、マーク・ボランみたいなやつとか、そんな人ばっかりいたんですよ。
すごいな、この大学って思って。だって大学食堂のテラスで、ゴザ敷いて、名前をこう針金でクニクニって曲げて「キョウコ」とか「ケイコ」とか作って付けるのがはやっていて。それを作ってね、校内で売ってるんですよ先輩たちが。

(一同笑)

デザイン課だとかいって。「デザイン課何回生誰々」って名前のプレートをポンと置いて、商売してるんです、これ200円とかこれ何百円とかいって。
ヒドい学校だな、面白い! って思って。もう自分のなかでは大阪芸大で決めてました。アーティスト気質のあるところで音楽をやりたいって思ったんですよね。大したところじゃなかったんだけどね。そのときはもう何も知らないから。その思いだけで大阪に出て行ったっていう......。




世良公則さん父なりの思いがあったと思う

■でも、音楽に理解がなかったであろうお父様も認めたっていうのは、きっと何かを感じてらっしゃったんでしょうね。

なんでしょうね、それはちょっとわかんないけどね。
ただ、父自身が親を早くになくして、十何人兄弟の末っ子で、兄弟に育てられている人なので。たぶん、その親であったらこうありたいっていうものが人一倍強かったんだと思うんですよね。で、自分は兄弟のお兄さんやお姉さんに育てられているので、子どもとも兄弟のような感覚というのを持っていたりとか。父なりの思いってあったと思うんですね。
お兄さんがもうお父さんくらい年が離れていたりして。兄弟みんなで、それこそ戦争中、みんな大変だったときにカボチャ泥棒をしたり、スイカ泥棒したりしながら、5、6歳からずっと育ててもらってたらしいので......。

■うーん。

みんな大阪でバンドやるって言ってるし、オレも大阪行って一緒にバンドやりたい、ぐらいの感じなんですよね。将来、広島県の福山に戻って仕事を始めるのか、就職するのか、都会で仕事するのか。それはもうわからないっていうのが正直なところだった。
でも、一応大学4年ぐらいだったときには、公務員試験の参考書は買ってね(笑)。一度も開かなかったですけど、実家に帰るときは抱えて帰るっていう(笑)。

■ポーズを(笑)?

一応ね。なんかしなきゃいかんかなとは思ってたんだけど。
でも、バンドをもう少し頑張りたいなって思ってたところなんだよね。ちょうどボーカルに転向したばっかりだったし。大学3年か、2年の終わりになったときに、今までベースをずっとやってきたんだけど、この勢いだとバンドをやるためには、ベーシストが入ったらボーカルになっちゃうし、またイチからやらなきゃみたいな。
でも将来のこととかは、あんまり考えてなかったですね。そんときはそれを一生懸命やりたいから、周りのことはいいや、っていうね。まぁ若いからみんなそうなんだろうけどね。たまさかプロになったから面目が立ったようなもんでね。




世良公則さんライブでは食えないので、アルバイトしながら

■1977年にデビューされるわけですけど、それまで当然その大学生のバンドとかで、アマチュアのコンテストとかには出てらしたんですよね?

ライブハウスに出たりね。うん。

■そのころから、話題になっていたんですか?

うん。おかげさまでね(笑)。
僕の先代のボーカルのときも、大阪でやってたんですけど、喫茶店とかでね。ちょっと片隅を貸してもらって、演奏していたりしたら最初は2、3人でね。チャージバックっていっても900円くらいで。バンド5人で分けたら一人百何十円とかで、「電車代にもならないや」って。まぁアルバイトでね、まかなってたんですけど。

ちょうどコンテストとかで、勝ち抜いていくようになったころ、大阪の喫茶店でも、2、30人くらいお客さんが入って、有名なあの、「(ライブハウス)バーボンストリート」とかもオーディションくらいは受けられるようになったんですね。
ただその当時「バーボンストリート」は"サザンロックの殿堂"みたいな感じで、イーグルスとかオールマン(ブラザース・バンド)とかやる人はいっぱい出る。

あとはブリティッシュロックもいっぱい出るんだけども、ダルダルのフェイセズみたいなのや、ローリング・ストーンズっぽいのって、出てなかったんですよ。
で、「キミたち、オリジナルないの?」って言われて。「ああ、じゃあ次までに作ってきます」って言ってからは、出てない(笑)。
あとは京都の「磔磔(タクタク)」とか「拾得(じっとく)」とか。あの当時でもちゃんと活動してましたね。




世良公則さん張り切りすぎてベースの弦を切った......

僕、「拾得(じっとく)」かなんかでセンチメンタル・シティ・ロマンスのオープニングアクトやったことあります。まだベースやってましたけど、先代のボーカルのときに。

■へええ。

ちょうど、「センチメンタル・シティ・ロマンス」のセンチメンタル・シティ・ロマンスカーが有名になってて、全国をそれで回ってて。京都の「拾得(じっとく)」のときにいわゆる前座、オープニングアクトだったんですよ。で、そのとき僕、張り切り過ぎてベースの弦、切ったんですよ。

■ええっ?

で、控室にダーって駆け上がって、替えのベース弦を出してもらってたら、センチの人に、「おまえ、ベースの弦切ったのか?」って笑われたんですよ。

■......、ちょっと考えにくいんですが(笑)。

でも、そのときは風貌(ふうぼう)も今と全然違うし、ベーシストだったのでたぶんセンチの方は覚えてないと思うし。僕もセンチメンタルの方の顔をね、まともには見れないですよ。
「センチメンタル・シティ・ロマンス」だぁ! って思ってるから。もう恥ずかしくて顔を背けながらベースの弦巻いて降りて行ったのを覚えていますよ。




世良公則さん広島東部ではそこそこ

だから人気はそこそこ。
広島の方では結構有名なバンドで、夏には自分たちがコンサート会場を借りて、ポスター作って、暑中見舞いのハガキの端を切り取るように作って。地元のアマチュアを集めて、「暑中見舞い申しあげますコンサート」っていうんでね。暑中見舞いのハガキを街頭で買ってもらうんですよ。
1枚500円とかで。それを入場券にして、「この暑中見舞いのハガキを持ってきた人は入れてあげる」みたいな。そんな感じで500円だったかな? 800円だったかな? バーッて売って。1000人以上集まりましたよ。

■うはぁ......。

キャパ800のところ「総立ち」みたいな(笑)。
あとは新聞社の青少年育成プロジェクトみたいなのに紛れ込んで、そこのホールを借りて、入場料取らないんですよ。ただ、箱を置いて、出て行くときに良かったと思ったら、自分が思う分だけのお金を入れて出て行ってくれっていって、やったら、そこの借り賃がまかなえて。さらにみんなで打ち上げをするだけお金が集まった(笑)。

■おおー。

楽器のレンタル料も全部、払った。そういうバンドまでは一応、いったんですよ。
広島の東部ではね。そういえば西部、広島市内では......、(奥田)民生くんの先輩の世代がいたんで、吉川(晃司)くんとかの先輩の人たちですよね。そういう人たちがやってて。東部はおれたちがいて、それでもそこそこ、ライブハウスは出られるようになってましたね。

■そこから、いよいよプロの道へと入っていくわけですが。

うん。




ギリギリセーフ

■1977年、世良さんはおいくつでしたか。

22ですね。

■22。ちょうど大学4年のころですね。

4年です。

■ということは、お父さんとの約束は一応そこで果たした、と......。

もう、ギリギリセーフ、っていうね(笑)。

---世良さんの「心の旅」ともいえるインタビュー第4弾、アマチュアからプロへの過渡期のお話でしたが、いかがでしたか? 次回もどうぞお楽しみに!




【世良公則さんDVD情報】

11月20日、モーション・ブルー・ヨコハマにて行われた、「世良公則、神本宗幸、エリック・ゴーフェン アコーステックライブ」が2006年3月29日、DVDでリリース予定です。どうぞお楽しみに!


●文:Yahoo!オークション
●写真提供・協力:有限会社ミスターセラ・プロジェクト
●協力:株式会社アトスインターナショナル

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読者コメント(1件のコメントがあります)

世良さんのお父さんは何をされてらっしゃいましたか?
勝手に世良嬢さんはお父さんと思ってます。
違ってたらごめんなさい。

投稿者:たこ焼きルンルン | 投稿日:2009年8月10日 15:32

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