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世良公則さんロングインタビュー Vol.3

世良公則さん日本屈指のロックボーカリスト、世良公則さん。そのロングインタビューの第3弾です。「無駄飯を食いに大学へ」、そこにあった世良さんとお父様の決断とは? ちょっと染みるお話です。



初めてのギター

■初めてギターを手にされたのは、中学1年のころなんですね。

中学1年のころ、周りの友だちがギターを弾き始めていて、学校でも「ビートルズが」「ツェッペリンが」、という話になってきたんですね。
ぼくの母の実家は寺だったので、毎年お墓参りに行っていたんです。その年に行ったときに、たまたまタンスの上にガットギターがあるのを見つけたんですよ。
その家には5つか6つ年上のおにいちゃんがいたんですが、「ダンサーになる」ということで、すでに東京に出て行っていて、いなかったんですね。そのおにいちゃんのものなんですが。
「これ使ってる?」って聞いたら「使ってないよ。ホコリかぶってるし」って言うので、「じゃあ、ちょうだい」って言って、もらって帰ったんですよ。弦が切れていたので友だちに聞いたんですが、その友だちがフォークギターを使っていたので、フォークギターの弦のことしかわからない。で、フォークギターの弦を買いに行ったんです。買って帰ってきて見ると、あきらかに違うんですね。でもほかの弦と同じように、ブリッジのところで、ぐるぐる巻いて止めたんですよ。




世良公則さん



■うわっ。

(笑)。ガットギターなのに、張ってあるのはフォークギターのスチール弦で、それを弾いていたから痛いんですよ、指が。でも我慢してそれをずっと弾いていましたね。

(一同笑)

で、ある日もっと詳しい友だちがそれを見て、「なんでガットギターなのに、スチールギターの弦が張ってあるの?」って聞かれて「あ、違うんだー」ってことに気がついたんです(笑)。

■よくガットと同じ巻き方で、弦を止めることができましたね。

うん。やっぱりナイロン弦と違って、指で引っ張って止めることができないので、ペンチとか使って止めたんですよ。今考えるととんでもないとめ方ですよね。それでね、高校に入ってフォークギターっていうのを買ったんです。




インタビューに応じる世良公則さん現存する最初のフォークギター

■最初に買ったフォークギター、今も覚えていらっしゃいますか?

覚えてます。
Maruha(マルハ)っていうメーカーのアコースティックギターですね。今でも実家にありますよ。こないだ帰ったらあった。「ああ」って思って触ったんですけど、音なんか鳴りゃしない。よくこんなの使っていたなあって。
でね、こんなすねた感じのおれでもね、デビューがよほどうれしかったんでしょうね。デビューのときに「世界歌謡祭グランプリ、あんたのバラード」っていうシールがあったんですね。そのシールがはってありましたもの。

(一同笑)

■ご自分ではったんですか?

自分ではったんでしょうね。デビューのときの販促用のシールだったんでしょうね。それがそのギターにはってありましたね(笑)。笑顔のぼくが写っていましたよ。


すっごいなあって、思いましたね。デビューのときに実家に帰ったときに、「ああ、今までこのギターを弾いてきたよな」という感慨で、はったんだと思います。
これはちょっと掘り出し物だな、って(笑)。

■なるほど。それこそレアアイテムですよね。

そうですね。自分で驚いたくらいですからね(笑)。




無駄飯を肥やしにできるか!?

■それで、高校に入ってからベーシストになるんですね。

そう。ベーシストになって。広島の福山市というところにいたんですが、その高校時代のバンドのメンバーと、「ブルースのある町でストーンズをやろう」、ということで、大阪の大学に進むことにしたんですよ。
それというのも先輩が、「ストーンズをやるならR&B(リズム・アンド・ブルース)を知らなきゃダメだよ。彼らはロックンロールとかいわれているけど、実はR&Bだからね」って言ったんです。
何かでロッド・スチュワートも「サム・クックが好きだ」って発言していたし。「ああ、イギリスのロックンロールの人って、ルーツはR&Bなんだ」って。
R&Bとか、ソウルミュージックを聴こうかなと思って調べたら、そういう音楽のレーベルって、ヨーロッパに多かったんですね。アメリカかと思ったら、意外にイギリス、ドイツなどのヨーロッパにあったりね。もちろんアメリカにはモータウンとかありましたけどね。

当時東京は「はっぴいえんど」とか、「ティンパンアレイ」、「シュガーベイブ」とか、そういう東京のロック、ポップスがあったんですね。自分たちはブルースなので、当時の大阪はウエストロードブルースバンドとかが全盛で、みんながオーティス・レディング、アル・グリーンとかにあこがれていてね。「こりゃあストーンズやるには、東京じゃなく大阪しかない」というので、全員関西の大学を受験したんですよ(笑)。
大学生になるのではなく、大阪でストーンズをやるには、大学生というパスポートが必要だと。「4年間無駄飯食おうぜ」と。父にも「4年間の執行猶予をやる。無駄飯を食べてみろ。その無駄飯がほんとに無駄になるのか、肥やしになるのかやってみろ」ということで、大阪に大学生という身分を借りて音楽をやりに行きましたね。

だから今ほんとに親にも感謝しています。勘当を恐れずに自分で飛び出してもよかったんですが、それだと生活費をすべて稼がなくちゃいけないでしょ。大学生だと仕送りをいくらかしてもらえるし、不足分は自分でアルバイトすればいい。
そのかわり留年なんて絶対にできない。どうやって単位をとるかってね。そのためにはどうするか、といえば友人をできるだけたくさん作る(笑)。
みんなに助けてもらって、約束どおり4年で卒業しましたね。
「4年無駄飯を食わせてやる」と言ってくれた父親の決断もうれしかったしね。




褒めてくれた父

■しかし、すばらしい決断ですよね。何か見つけられるかどうかやってみろ、という。

そうですね。勉強でもスポーツでも、なにを一生懸命やるのもおんなじだ、と思ってくれていたようです。
ただ音楽への理解はなかったですね。

■ええ! そうなんですか?

うん。
家でギター弾いてると「うるさい」って言うし。バンドのテープをかけていると、「やっぱり歌は美空ひばりだよ」って言うし。時代劇と美空ひばりさんの大好きな父ですから。
ただデビューして何年か後に、「うん、なかなかいい声してるね」って言ってくれたことは覚えていますね。




---世良さんの「心の旅」ともいえるインタビュー第3弾、いかがでしたか? ブルースをやるなら大阪。このとき東京を目指していたら、今の「世良公則」はなかった!? 次回もどうぞお楽しみに!



【世良公則さんDVD情報】

11月20日、モーション・ブルー・ヨコハマにて行われた、「世良公則、神本宗幸、エリック・ゴーフェン アコーステックライブ」が2006年3月29日、DVDでリリース予定です。どうぞお楽しみに!

●撮影・文:Yahoo!オークション
●協力:有限会社ミスターセラ・プロジェクト ●協力:株式会社アトスインターナショナル
世良公則さんオフィシャルホームページヘ

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