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音楽の旅日記〜斎藤誠とマーチン君 Vol.7

Music history,Martin history斎藤誠さんご自身が語る「音楽履歴」ともいえる「音楽の旅」をお届けします。誠さんと音楽の出合い、誠に影響を与えた人物、アーティストなどなどが語られますよ! あわせて、マーティンクラブジャパン主催のライブ情報も掲載しました。



こんにちは斎藤誠です。楽しいGWもあっという間に過ぎて行ってしまいましたが、みなさんお元気でしょうか。
マーチン君もこの連休を使ってご親せきのお墓参りに行ったようで、感心感心。僕はといえば、いまだかつて連休はおろか、日曜日さえ休みと意識したことがないので、これが社会人にとって一体どのぐらい重要なものなのか、ちっとも分からない生涯音楽屋なのでございます。


斎藤誠さん

こちとらこういう商売(自由業)ですから、1週間ぐらいの休みなんざ、作ろうと思えばいつだって作れるんですね。しかし気が小さいから恐くってそれができない。
休んでいる間になんか音楽界が激変したらどうしよう。「本物の時代」が来るってもう20年以上も言われているけど、それがホントに来たりして乗り遅れたらエライこっちゃなんてね。そういったかなり現実的でないこと想像してしまうのです。

まあそこまでいかなくても、休んだりするとその間になんか「とても大切な出会い」を逃してしまうかもしれないじゃないですか。自分の運命を変えるような出会い。これを考えると、「しばらく南の島へ」なんて気には到底なれません。いや待てよ......、南の島で出会いがあるかもしれないか。ううう、やっぱりオレは人間が小さいねえ。

さて、というわけで今回、第7回目の「音楽の旅日記〜斎藤誠とマーチン君」、連休疲れのマーチン君にはちょっと休みをあげて、僕斎藤が過去の「音楽の旅」を振り返って、ひとり徒然(つれづれ)なるままに書いちゃいますよ。ではスタートです。




兄がオモチャをくれました

父親が銀行員だったので転勤が多く、よく転校をしました。幼稚園×2回、小学校×3回、中学校×2回です。
こうした転校生人生ってのに暗く沈んだイメージを持つ方も多いようですが、僕のそれはまるで逆。どこに移ってもあっという間にその地方の方言を習得し、友だちを作って仲良くなって、ちゃっかり「地元の子」になっちゃいます(兵庫県宝塚にいたときなんて、もうどこから見ても関西の子ーやったで)。
で、しばらくするとまた転校なので、そろそろこの仲間ともお別れだな、なんて妙にそこだけドライなガキで、おかげで永年の友だち、親友なんてものができるはずもなく、また仲間ってのはそういうもんだと思っていたのです。

しかしそんななか、ただひとりずっと一緒にいたヤツがいました。兄貴です。こいつこそが僕に「音楽というオモチャ」をくれた張本人なのでした。

父は中学の時ブラスバンドでバスチューバというのを吹いていて、同バンドには「有馬徹とノーチェ・クバーナ」の有馬徹氏がいたそうで、父はテレビに映る有馬さんをいつも楽しそうに見ていました。
母は若いころから声楽をやっていて、大勢で「第九」なんてのを歌ったりしてたらしいけど、今でもやってるから恐るべしです。そして四つ上の兄。ご多分にもれずThe Ventures(ベンチャーズ)のファンで、同じ中学のバンド仲間を家に集めて雨戸閉めてテケテケとやってるわけ。これが小学校4年の僕にはたいそう刺激的で、そのでかい音にすっかり魅了されて早くも自分の人生「オレはコレだな」と決めてしまいます。

世田谷区代沢に住んでいたこのころ、下北沢のディスカウントショップで買って来た僕の初ギターは、もちろん名器マーティンなどではなく(当時マーティンって、一体いくらだったんだろう。知ってる? マーチン君。知らないだろうなあチミは若いから。)、国内某メーカーの質流れ品でした。確か2800円ぐらいだったような......。
ガットギターなのにナイロン弦でなく、鉄弦(当時そう呼んでいた)が張ってあったっけ。同じ小学4年のなかでも特に体が小さかった僕は、ネックにぜんぜん手がまわらず。演奏どころか、Emさえ弾けません。しょうがないからバカでかいギターを膝(ひざ)において、琴のように(あるいはジェフ・ヒーリーのように)上から弦を押えたりして最新ヒット「Magical Mystery Tour」などをまねして弾いていました。そんな僕を尻目に兄貴はどんどん上手くなって、「Don't Think Twice」や「クラシカル・ガス」なんて難曲まで弾いている。
その上ヤツは映画音楽にまで詳しく、エンニオ・モリコーネやジョン・バリーなんて大人の音楽まで聴いているわけです。気が付くと僕は兄のコピー人間と化し、兄が目標のすべてとなっていました。

こうして音楽にはまっていく僕ですが、とにもかくにもこの兄の影響が巨大なのです。ギターを弾いても絵を描いても、ギャグを言わせても、まあ何やらせてもうまい兄。コレに何とかして追い付きたいわけですね。




斎藤誠さんO-18、壮大なるロマンの旅

さてこの少年時代、ちょうど1967年、68年ごろということになりますが、このさらに2年前、1965年に作られたマーティンギターを今僕は使っています。
O-18というギター。

コレを僕がL.A.で入手したのが1987年。デビュー4年目のそのころはあまり深く考えなかったけど、今になってこのギターの作られたときのことが気になってきました。
1965年当時自分は何をしていたのだろうと、ふと思うのです。そして製造されてから僕のもとに来るまでの22年の間、このギターはいったいどんな旅をして来たんだろうと。
勝手に壮大なロマンを夢想したりして、うーん、楽しいじゃないですか。




1965年といえばThe Beatles(ビートルズ)がニューヨーク・シェイ・スタジアムで史上初の球場コンサートをやって、ディランがニュー・ポート・フォーク・フェスティバルで初めてエレキギターを使って観客からブーイングを浴びて、日本ではスパイダースが「フリフリ」でデビューして、加山雄三の「君といつまでも」がリリースされてた年。映画では「サウンド・オブ・ミュージック」が公開されて、えーとそれからそれから、そう、ソ連の宇宙遊泳が成功した年でもあります。
なんか時代がまだまだ上を向いていて、しかし同時にベトナムでは戦争が泥沼化し始めて、社会的にも文化的にもいよいよ大きく動き始めるちょうどそのころだったと思われるわけです。そんなころにアメリカのペンシルヴァニア州ナザレスの工場で完成した一本のギター。この2月に訪問したあの工場にほかなりません。
「嗚呼(ああ)! 40年前のあの場所で生まれ、それからお前は一体どんな旅をして来たんだい?」。ビールに酔った僕は無口な愛器O-18に朝まで語りかけ続けるのでした。「おいお前、なかなかイイよ」。




斎藤誠さん初ステージではアングラソングを歌いました

1965年というと僕は7歳で宝塚小学校の2年生。
一応近所の友だちと「缶けり」などして遊んではいたけど、実はひそかに自宅のモノラルのアナログプレイヤーでThe Venturesや「007のテーマ」なんかをガンガン聴いて自分の世界に浸っていました。
まだギターとThe Beatlesが斎藤家を席巻(せっけん)する1年前のことで、でもなぜかドラムスティックだけは家にあり、「パイプライン」や「蜜(みつ)の味」なんかのドラムをまねして、兄弟で畳をたたいてボロボロにしちゃって母親にさんざんしかられたっけ。
兄の心酔するThe Venturesが絶対だと信じ、エレキが一番、生ギター(当時はアコースティックギターをそう呼んだ)なんてダメと決めつけてしまいます。




Brothers Four(ブラザーズ・フォア)とかJoan Baez(ジョーン・バエズ)がマーティンを持ってよくテレビに出ていましたが、小学2年生にはちょっと刺激が足りず、さらに親がそういうソフトなのを好きだったりしたので、反抗して聴かず嫌いを決めてしまいました。

待てよ、こういう早とちり、オレもう一度やらかすなあ。この数年後にまた同じ失敗をおかすのでした。中学に入ったころそれまで自分の心のすべてを預けていた The Beatlesが解散して、途方に暮れちゃった。そんな僕を救ったのが アメリカンハードロックのMountain(マウンテン)。アルバム「悪の華」です。
コレを聴いた中学生にはもうほかは要りません。しかし世の中はそのころシンガーソングライターのブームで、 James Taylor(ジェームズ・テイラー)やNeil Young(ニール・ヤング)などが奏でる生ギターがとっても美しかった時代。コレを聴かないのはバカです。ところが一度ハードロックの沼に足を踏み入れた少年はそう簡単に態度を変えられません。「あんなダンガリーシャツ来てるようなヤツらはお呼びじゃねえ。第一ギターってのは歪(ひず)んでなきゃ意味がねえんだ」なんてね。バカでしょ。

話はあっちに行ったりこっちに行ったり申し訳ありませんが、さきほどの質流れギター、僕はコレをずーっと使っていました。
最初に人前でコレを演奏したのは小学校4年のお別れ会の時。フォーク・クルセイダースの大ヒットアングラソング「帰って来たヨッパライ」と、ダーツの「ケメコのうた」というのをやったような気がします。違ったかな。

その後も家ではいつもこのアコースティックギター(もうナイロン弦に張り替えています)を弾いていて、転校した静岡の中学には毎日持って行ってました。この静岡市立安東中学校では音楽の時間にギターの授業があり、僕がクラス全員のチューニングをしたりして楽しかったなあ。東京に転校して都立永山高校に入ると頭はさらにロック一色になって、髪を乳首まで伸ばし、「重音楽同好会」設立を目指して校内をまわって署名運動を決行したりしてましたが、卒業して見事「名門」代々木ゼミナールに入学(涙)。
しかしこの宙ぶらりん浪人時代に遂に本当のアコースティックサウンドに出会います。

---誠さんに多大なる影響を与えたのはお兄さんの存在だったんですね。次回は誠さんをアコースティックに目覚めさせたミュージシャンについてお話してくれます。どうぞお楽しみに!




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