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30th Anniversary Live 直前インタビュー

角松敏生さん [new]2011年6月25日、横浜アリーナでデビュー30周年ライブを開催する角松敏生さんの最新インタビューをお届けします!



1998年から2010年はスキル的にもある程度完成しているんです

角松敏生さん TOSHIKI KADOMATSU 1998~2010について

■3・11に大震災があって、そのあとでリリースされたこのアルバムに入っている新曲『ALL LIFE IS PRECIOUS』は被災者のみなさんや、これから復興に向けて動かなければいけない人たちに向けた愛のある曲だなって思ったんですね。大きなテーマですし。

それ、よく言われますね。ただ、作ったのはそれより前なのでそういう意識で書いたものではなかったんです。30年もやってくると男女の間がどうのこうのっていうことから、もっと人と人のつながりの本質的なもの。もっと本性というか真実に近いキレイごとのないところを探っていくというような所作に変わっていったんだろうなと思うんですよ。


1998年から2010年の角松敏生っていうのは、スキル的にもある程度完成しているんですね。

実は、このアルバムは作る予定がなくってリメイク・ベストを出す予定だったんです。
80年代の、みなさんがよくご存じの人気のある曲を今の力量でもう一度やってみたらと、そういうファンの方にとってはちょっと楽しいことをやろうと思ったんです。ただ、リメイクってことになるとオール・レコーディングになるので時間がかかるんですね。それは横浜アリーナ(30周年ライブ)前にはムリだ......ってことがわかったんですよ。
それはそれで出す準備はしていますけれど、そうなると横浜アリーナ前にプロモーション・アイテムが何もないじゃないですか(笑)。で、「コンピレーション・ベスト組まない?」って自分から言い出したんですよ。

僕はあまりコンピレーション・ベストって好きじゃないんですね。
手を加えない、お金もかけないで出してしまえるみたいなものだからね。ただ、30年もやってくると多くの人に僕のコンテンツを知ってもらううえで、たとえば何かで僕の音楽を好きになってくれた人に「とりあえず全部聴いて」とはいえないじゃないですか、そんな大変なことは(笑)。長くやってきているからこそ、こういうコンピもありなんだなぁと思うようになったんですよね。

角松敏生のインデックスとして、角松敏生を好きになっていただくために僕自身が「これはぜひ聴いていただきたい」という作品を集めたものをリリースするってのも"あり"だなって思ったわけなんですね。
せっかく角松敏生に関心をもってくれた人が「どれ聴いたらいいの?」ってときに「じゃあ、これ聴いてください」と言える作品。全部聴いてくれてもかまわないんだけど膨大な数でしょう(笑)。
「これ」という1枚になるなと。
昔から好きな人に意見を求めると、僕を好きになった年代別に好みは分かれますから偏った情報のほうに行っちゃうと困るので(笑)。
いわゆるオフィシャルとしてインデックスが必要なのかなって思ったんですね。

それでこのコンピ・ベストを出せば横浜アリーナのプロモーション・アイテムにもなるし、活動もできるんでね。それであえて作りましたね。
当然、そこに1曲新曲を入れるってのは僕自身のこだわりでもありますし、オール・リマスタリングってのもそうですし、同時にこういったコンピ・ベストって年代順に並べられるものが多いんですけど、先ほどの話に戻りますが、1998年から2010年というのは僕自身のスキルでとっても納得のいくものになっているし、「これが角松敏生です」って恥ずかしくなく言えるって自分で思えた、それが確立できた時期なんですよ。


1枚のオリジナルアルバムのように抑揚を持たせたりしているんです

だから、変な話、80年代っていうのは今よりもCDも売れていたしコンサートもいっぱいやっていましたけど、やっぱり振り返ると未熟なんですね。その時代その時代で一所懸命やっているんだけど、たとえばそれを今のスキルで聴いてみるとやっぱり無理があるなとか、言葉が変だなとかそういうことがたくさん自分の作品のなかにあるんですね。
そういうものは是正していきたいんですよ、今のスキルで。是正すればいい曲ってたくさんあったりするんです。僕なりにね、過去のここが至らなかったってところを表現した作品を作りたいわけなんですけど、ま、それがリメイク・ベストを作りたい理由でもありますね。

1998年から先ってのは、もうリメイクの必要なしって自分のなかでは思っているんですけど、完成度としてこれ以上いじる必要はないってね。あったとしてもリミックスすればいいかと。たとえば歌が小さかったとかそういうのはいくつかはあるんですけど、全体のアレンジだとか作曲法であったりとか、歌唱であったりとかそういうものに関してはまったくやり直す必要なしって思っている年間なんですよ。

だから逆にベストを組むのがすごく大変だったし、そのなかでそれなりにこの楽曲を選曲して、さらに自分の納得いくスキルの年間の曲だから年代順に並べる必要もなくて、これが同時期に発売される1枚のアルバムだったらどういう曲順になるだろうかと......。そういうふうに並べたんですよね。だからベスト盤というよりも、聴く人が聴いたらこれは1枚のオリジナルアルバムだと、そういうふうに聴けるように抑揚を持たせたり、工夫をしてるんですよ。そういうバックボーンを持った作品なんです。


で、元の話に戻りますが、それを自分で聴き返してみると確かに角松敏生っていうのはミュージシャンコントロールであったり、アレンジだったりサウンド面では音楽マニアが好みそうな部分に特化したところで評価されることが多いので、やっぱりそういう作品もあるんですけど、全体を俯瞰すると、特に詞の部分のメッセージ性みたいなところがひとつのまとまりを見せている作品になっているなと。

後で聴いて「ああ、こうなったんだ」と。すごく不思議な感覚ではありましたね。そういう楽曲が多かったし。39歳から自分自身の考え方とか、主張とかがそういうものになっていたんだなぁと、あらためてわかったのがおもしろかったんですね。そこにあの震災があったんです。

『ALL LIFE IS PRECIOUS』は、海外支援の団体の人たちとお話する機会があっていろんな話をしていたのが頭に残っていて、たとえばそういう人たちに喜んでもらえるような曲だったらこんな曲かなと。そういう話のなかから得たヒントでふっと書いた曲なんですよ。

「30周年のアルバムに入れる新曲なんだから大きなテーマがいいかな」みたいなね。わかりやすくて大きなテーマの曲がいいなってことになって、ゴスペルライクなところを最近やっていないから、ネイティブな人にコーラス付けてもらおうと、ふと思ったんです。 まさか世のなかこんなことになるなんて、そのときは思ってもいませんでしたからね。だから、よく「そういうことを考えられて作られたんですか?」って聞かれますけど、全部偶然です。

■ゴスペルコーラスが入って、テーマも大きく伝わってくるものがたくさんあるのに、響きとして重たい感じはしませんよね。

おもしろいもので、音楽ってそのときの人間の幸不幸であったりとか、置かれている立場であったりとか、バイオリズムであったりとか、歌詞の意味も違って聞こえるとか、いろんなことが見えてきますよね。それは自分でもおもしろいなと思います。

皮肉にも、看板を下ろしたらいい歌が歌えた『1981~1987』

■過去にコンピ・ベストとして『1981~1987』、『1988~1993』とそれぞれ2枚組でリリースされていますよね。

そう。3部作ということになりましたね。

最初の(『1981~1987』)は活動をやめたときに作ったんですけど、あれはホントにリメイクもしているし、歌の入れ直しもしてるし。僕の作品のなかでもあれは好きなんですよ。
自分を解体して新たに組み直して......。同時に、あれは活動を凍結したライブの後に作ったので「角松敏生」の看板を下ろしていたからすっごく気楽でしょうがないわけですよ。レコーディングももう楽しくてしょうがないわけ。「これで終わりだー! もうこの看板で大変なことしなくていいんだー」と。そういう気楽さがあって自由に作ったんです。
皮肉にも歌を聴いているといちばんいい歌を歌っているんですよね(苦笑)。もっと最初からこれくらい歌えていたらなってのがこの作品ですね。

2枚目(『1988~1993』)は僕が事務所から独立するときに出したものなんですが、権利関係やらなにやらいろいろあって、独立の条件として「ベスト1枚出して」って言われたんです。
本来僕は出したくなかったんですよ。かといって、それだけで出すのはしゃくなので、マスタリングしてもらったりとかそういうこだわりを出してはいるんですね。そういういきさつが2枚目にはあったんです。

まあ、でも30年もやっていると、出した当時はイヤだなってことはあったとしてももう考え方も変わってきてるし、この3枚(3部作)があればこれから僕を聴こうと思ってくれている人たちへのインデックスとしてはとっても便利なものになったなと、結果論としてそういうことですよね。


この言葉はこういう経験をしてきたから書けるんだなって

角松敏生さん ■男女のパーソナルな恋愛を描いた作品、みたいなところからどんどん詞の世界が変わっていって、たとえば「夜の蝉」(アルバム『NO TURNS』収録)みたいな詞の世界に向かっていた角松さんが、去年『Citylights Dandy』っていうアルバムを作ったときに、「これって挑戦? 自分を試してる?」って思ったんですね。

そうそう、まさに(笑)。いろんなところの取材で言ったんだけど、自分のクリエイティビティって常に現実と向き合ってきたようなところがあるから、特に80年代はね。それをそのままトレースしたようなこともやってきたので。
で、僕自身『NO TURNS』あたりから思ってきたんだけど、50年生きてきて、それなりの経験をしてきているわけじゃないですか。

それは一個一個の完成された絵として思い出として残っているんだけど、40なかばころからそれを全部ぶっ壊しちゃって、ジグソーパズルのピースみたいにしちゃって引き出しにドーンっと入れてしまったんですよね。


で、もう一回自分をシェイクして。それをやったのは『Prayer』のときかな。それでバンっと開けて全部違う時間軸で描いた絵のピースをもう一回組み直して違う絵が作れるっていう。
これは実際にあったことではないけども、僕の経験をもとに作られた絵なんだってことなんです。これは実際に起こった出来事、ストーリーではないんだけども明らかに自分の血肉のピースを持って作られたストーリーだなぁっていう。だからこの言葉はこういう経験をしてきたから書けるんだなって思うようになったんだよね。

これはいけるな、と。で、『Citylights Dandy』のときはそれをさらに過激にやってみたんですよね。これはファンクラブの会報で解説したんですけど、わざわざ恋愛をしなくてもキレイな女性をみるだけでラブソングが書けちゃうんですよ。「なんて安上がりなんだ」って思いましたよね(笑)。そういう意味では歳をとるっていいことだなって思いました。聴く人はドキドキして聴くし、僕もライブでは完ぺきに感情移入して歌うんですよ。こういうことってできるんだなと。これは若いころにはできなかったことですね。

ムダをやり、ムダを知り、ムダじゃないことを知る

やっぱり実際に経験しないとわからないし経験したいし。でも、そういうことって100あるうちの80%はムダなんですよ。残った20%が重要な気づきのネタになるわけで。
よく言ってるんですが、20代30代ってのはムダなことをするのが仕事なんですよ。ムダなこといっぱいやってムダを知ること。で、ムダじゃないことを知ることです。それが20代30代の所作でいんじゃないかなと。
40過ぎてまだムダなことやっている人いっぱいいるんですけど、もうそうなってくると、そろそろそういうことはムダであってやっぱりずっと遊び倒すのもいいのかもしれないけど、それもいかがなものかと思うようにもなるわけですよ。
そうすると「それをやっているならこれもやったほうがいいかもですよ、先短いから」ってことを思うようにはなりましたね。遊びや人との会話、旅先で触れることのなかにもムダじゃないことはたくさんあって、でも、それを感知して手繰りよせられるのは年齢があるかなって。若い子にはそういうことできないかなって、まずは経験ありきだと思うから。


「30周年おめでとうございます」もいいけど、この後どうすんのと

角松敏生さん ■30年ってこちらも一口に言っていますが......。

うん。でも僕にとっては30年って一口なんですよね。

最近、横浜アリーナ(30周年公演)が近づいてきて、こう振り返ると長い時間が流れてしまったんだと......。
ただ前回のライブでも言ったみたいに、一度も達成感みたいなものを感じたことがなくって。「30年たってますよ」って言われたときに浦島太郎みたいな気分なんです、今は。
世のなかは変わり続けているのに僕は変わらずにこうして続けてきている。いいことなんですけどね、変わらずに続けられるってことはね。でも、そこにファンのみなさんがいてくださるからこうやって横浜アリーナも成立するわけなんだけれども。


僕は過去の人なのか

先日、たまたまなんですがある場所で人のお話を聞く機会がありまして、僕なんかより社会的地位のあるその方が、「角松敏生さんですよね? いやー、昔よく聴いてましたよ」っておっしゃるんですよ。あとで、僕と同い年の方だってわかったんですが、そういうときに唖然とするわけですよ。
もうこういう年齢なんだってことと、僕はそういう人にとってはすでに過去の人なんだって。
僕はいつも矢面に立っていつもファンのみなさんと向き合ってきたからその感覚がマヒしちゃっているんですね。30年たったんだっていう。

そういう焦りみたいなものはすごくありますよね。この後どこまでやれるんだ、君? っていう問いかけが重くのしかかっている感じがします。「これでいいの、もう?」っていうね。 「よく聴いていましたよ」って言ってそのあとで隣の、若い子に「知ってる? スゴイんだよ、この人」ってたずねて「知りません」「知らない? あ、そっかぁ」ってそんなシーンだったんですが、なるほどねえと思って。
そういうエピソードも含め僕自身が、「30周年おめでとうございます」もいいんですけど、この後どうすんの、ってところがものすごくきてますよね。

本来だったら、30年もやってきたらまあ野心なんかいいからとりあえず悠々自適に自分の仲間とライブなんかやって、足腰たつうちはそうやってりゃいいやって、そんな感じになってもいいのかもしれませんが、うちは会社もあるし社員もいるし、アーティストは僕しかいないし。
それを考えるとやめられないし、前に進んでいくっていう、まあ言ったら営業努力ですよね。営業努力をしなけりゃいけないんです、30年たっても。まあ、みなさんそうかもしれないですけど、もう少しゆったりとしてもいいんじゃないかなってふうなくらいやってきてるわけですよ。ただやっぱりね、世のなかを見ていると僕とおんなじ世代とかちょっと下の世代とかは焦りだしているんだよね。そう思うときがありますね。

フォロワーのみなさんのおかげ

やっぱり世のなか音楽があふれ出していて、アーティストって呼ばれる人がたくさんいて、CDは売れないとか、それでもやっぱり音楽の仕事をやっていかなきゃいけないわけで、みなさん自分たちが食っていく場所探しがすごいことになっているなと思うんですよね。
昔あんなにもう二度といっしょにやらないって言ってたバンドが再結成したりさ、そういうこともふくめてね、なんか昔を懐かしんでというよりは一定の焦りみたいなものを感じますよね。全体的に。 だってこの先もこれで食っていかなきゃいけないわけだから、じゃあ一体どうやって食っていくんだというところですよね。

いい音楽をやっていても、これだけ音楽シーンとかマーケットがとっ散らかったものになってしまったから、たとえば大ヒットアルバムを作りますっていうそういう世界じゃないじゃないですか、もう。
たとえば大御所の誰それさんのアルバムが、後で聞いて「えっ? それしか売れていないの?」ってビックリする時代ですから。
逆に相変わらずコンスタントに業績を出している人もいるからそういう人ってのはきっちりしたフォロワー、信者みたいな人がいるわけですよね。そういう人はすごい正の遺産を持っていてうらやましいなって思うんですが、まあ逆を言っちゃえば僕みたいなシングルヒットもなけりゃテレビにも出ないようなアーティストが30年もやってこられたのも、そしてれてさらに横浜アリーナができるのも、数は少ないけれどフォロワーっていうか僕のお得意さんに守っていただけたからだなって思いますね。


30周年は背水の陣の出発地点

最近どんどん難しい時代になってきているから、CDを作るよりみなさんライブで稼ごうとしていますよね。だからもう会場がないですよ(笑)。バックミュージシャンのスケジュールを押さえるのも難しいんですよ。2年先とかそういう話になっていますからね、もう。じゃあどうするんだと。弾き語りでもいいからやるってのもまあ絵空事じゃないですよ。まあ、そんななかでもきっちり4リズムくらいでライブでも表現していけたらいいなって思いますし。

CDの制作という部分に関してもちゃんとしたものを作るにはお金がかかるし、なんにお金がかかるっていったら、スタジオなんですよ。だから、今自分のスタジオを作っているんですよ。貯蓄したお金を全部吐き出して、住居兼スタジオを作っているんです。全部吐き出しちゃったから今お金ないんです、全然。そこから回収していくことを考えなきゃいけないんですよね。作ったからには生んでいかないといけない。来年以降はそうやっていかないと首が回らないので。

まあ30周年っていうのはポイントですね。背水の陣の出発地点っていう感じがしますね。

横浜アリーナに関して言えば、前回もたくさんのミュージシャンを招いてやったし、長い時間やったのでお客さんはそれをすごく期待してるし。僕はそれを裏切れないから、まあそういった営業努力的なことを考えつつもスケール感は崩したくないって......まあ、そういうところが僕が商売がヘタなところなんでしょうね。

だからファンの方が「ゲストは誰なんですか?」って聞いてくるんですね。「いえ、今回は僕がひたすら歌います。ゲストがいなけりゃダメですか?」って逆に聞いちゃうのね(笑)。そういう部分もファンの方は期待していますからね、やっぱり。 20周年、リベンジ、25周年と杏里さんとやったりいろんな場面をお見せしてきたから、もう30年は僕のやりたいようにやらせてよ、もういいでしょうと。
そういうことがあって前回のツアーでは「今回は僕の好きな歌を好きなように歌わせてよ」って宣言しましたからね(笑)。


意地でもきっちりMCの時間も測って9時半に終わったじゃんみたいにしたい

角松敏生さん ■(横浜アリーナも)震災の影響とかありそうですが......。

そうですね。被災地に住んでらっしゃる方々でどれくらいの方が来られなくなったかは現在のところまだ詳しくはわかっていませんが、それでも(ライブをやるということに関しては)成立しているので、それはファンのみなさんにありがとうと感謝しなきゃいけないですよね。
避難所から駆けつけてくれる方々もいるようです。それが終わったら次は被災地のファンの皆さんに何か次を考えていかなきゃいけないんですけどね。

■ライブの内容をお話できる範囲で聞かせていただけますか?


人に喜んでもらえるのが好きなのでお客さんが「おぉ!」って喜んでくれるようなものもちゃんとやります。また(終演時間が)「延びるぞ延びるぞ」ってみんな言っているんですが、僕は意地でもきっちりMCの時間も測って9時半に終わったじゃんみたいにしたいですがね(笑)。

■みんな終電までには終わらないかなって思っているとは思いますけど、9時半って(笑)。

いや。新横浜発ー新大阪行きの最終が9時20分くらいなんですよ。
だから最低でも9時には最初のアンコールをと。で、構成の話なんですが最初は開演から1時間半。でインターバル30分くらいで残り3時間から3時間半っていう。
わかりやすくいえば、ちょっと短めのライブと、いつも通りのライブの2本立てである感じ。最初のステージは80年代のゴリゴリのナンバーをメドレーではなく、ほとんどしゃべらず駆け抜ける1時間半。
で、2部はゆっくりじっくり歌い込むものを中心にと。それで今回の布陣は......

江口信夫、玉田豊夢(Drums)
中村キタロー、山内薫(Bass)
梶原順、鈴木英俊(Gtr)
小林信吾、友成好宏、森俊之(Key)
田中倫明、大儀見元(Perc)
数原晋、中野勇介(Trumpet)
本田雅人(Sax)
中川英二郎(Tb)
チアキ、凡子(Cho)---敬称略

常に全員が乗るってわけではなくて、曲によってメンバーがかなり忙しく入れ替わりますね。で、アンコールでみんなでやる。まあツインベースってのはないですけどね。
曲ごとにそのミュージシャンの持っている方向性と楽曲のマッチングを考えて変えようと思っています。
入れ替わりはおもしろいかもしれない。だからそのやりくりがちょっと大変ですよね。
前の曲が終わるころには次のミュージシャンが待機していなきゃいけないとかね。そういう入れ替わりのすごく激しいライブになると思います。
そこまでしても「このへんの曲をやりたいです」って曲をやるので。まあ、でも後半は98年以降の曲が中心になります。 アンコールにはアレもやりますが。楽しみにしていてください。


---いかがでしたか? この続きは後日、ライブレポートと併せてお届けします。ご期待ください!


【LIVE information】

■TOSHIKI KADOMATSU 30th Anniversary Performance 2011
 "Tripod ver.2.0"
 2011年7月9日(土)、10日(日)軽井沢大賀ホール
 7/9 open/18:00 start/18:30
 7/10 open/16:00 start/16:30
 指定 \7,500 立見 \6,800 合唱席 \7,000(各税込)
 information:角松敏生コンサート事務局03-5431-1617

■音霊OTODAMA SEA STUDIO 2011
 角松敏生"30th Anniversary Performance in OTODAMA"
 2011年8月19日(金) 音霊OTODAMA SEA STUDIO
 open/17:15 start/18:00
 全席自由 \6,800(税込・整理番号付・drink別)
 information:OTODAMA運営事務局(11:00~20:00)046-870-6040


角松敏生オフィシャルサイト(外部リンク)
ソニー・ミュージック 角松敏生(外部リンク)



●協力、写真提供:BEANS Inc.、アリオラジャパン
●文:Yahoo!オークション



読者コメント(1件のコメントがあります)

こんばんは、母が角松さんのレコード?を宝物にしていました。母には一回り年上の兄がおり、その影響でしょうか、ライブへ行くことなく静かに部屋でレコードを堪能する時間が最高の贅沢だったみたいです。
今年も後半を迎え、角松さんのライブへ母と一緒に行きたかったのですが出遅れもいいところでした(>_

投稿者:櫻子 | 投稿日:2011年9月 2日 02:08

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