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井上ヨシマサさんインタビュー -1-

井上ヨシマサさん [new]お待たせしました! 本日11月30日、CD『前ノリ』がリリースされる作曲家でミュージシャンの井上ヨシマサさんのインタビューを公開します♪
井上さんの音楽遍歴、AKB48との関わりなどたっぷりお聴きしました。



はじめに......11月30日発売『前ノリ』告知

■今回CD『前ノリ』を発売されるということなんですが、発売にいたった経緯をお聞かせください。

東京ドーム(8月24~26日のAKB48東京ドーム公演)の前日に2回目のソロライブをやったんですが、1回目をやったときに三重県から杖をついてやってきてくれた方がいたんですよ。もちろん日帰りで帰るわけなんですが、それはちょっと申し訳ないと、ライブに来てくれる方々のほとんどがAKB48ファンなんですから。

だったらAKB48のコンサートに絡めてそのコンサートの後でもいいんですけど、そしたら1回の電車賃で済むわけじゃないですか、それで東京ドームの前の日にしようよと。前の日だったから『前ノリ』でと。
井上ヨシマサさん

ライブハウスの人が僕の前のマネージャーなんですけど、打ちあわせしてね。そこにコスミック・インベンションのころからのお付き合いになるディレクターの田村さんも来て、「だったらコンサート用に『前ノリ』って曲も作った方がいいんじゃないの?」と。
やったらこれがけっこうおもしろくて、コンサートを手伝ってくれたひろくんが勝手にビデオを作って自分のカラオケ店で流していたんですけど、誰かがカラオケで『赤いスイートピー』とか入れると合間に流れているだけだから止まっちゃうわけですよ。そしたら「やっぱりCD作らなきゃダメじゃない」って話になって。それで作ることになったんですよ。

リアリティを重視した曲もあるしくだらない曲もあるけど、ちゃんとした曲もそろそろ作るかもしれないけど、流れはできているんじゃないかなと。『前ノリ』作れって言ったディレクターもいますし、そうやって自然発生的なものが流せるGoogle+も、ほかのSNSみたいなものもそうだし。みんなやりやすくなってリアルなものが流れるようになるんじゃないですか。だから買ってください。

(一同爆笑)

※編集部注:ネット販売をAmazonさんではすでに「一時的在庫切れ」の状態でした! スゴイですね^^

ジャズに目覚めた小学3年生

■まず最初の質問です。井上さんが音楽家の道を志したきっかけはなんだったのですか。

うちは小さいころ、6歳くらいから子どもはみんな楽器を習わされていたんです。

スズキ・メソード(才能教育研究会)というのが中野にあって、そこはバイオリンの教育で有名だったんですが、譜面を覚えさせるのではなく耳で音を聴いて演奏するやり方で音楽教育をしてました。男ばかりの4人兄弟の上から順番に習っていて、僕は上から3番目、そろそろ習う楽器を決めなきゃいけない。「どうしよう?」と。長男がピアノを弾いていたし、たまにそれを触ってもいたので「じゃあピアノがいいかな」とピアノを選びました。

スズキ・メソードで習う曲はスゴくいい曲で、ショパンのかんたんな曲などはどんどん弾かせちゃうので最初はスゴく楽しかったんですが、ハノンとか基本的なレッスンが始まるともうとにかくイヤでイヤでしょうがないんですよ。ホント「泣きながら弾いてました」みたいな感じだったんです。

あるとき、テレビでサミー・デイヴィス・Jr.がサントリーのCMですっごく楽しそうな音楽をやっているのを見たんです。うちの親父は会社のサークルでディキシーランド・ジャズのトランペットをやっていて、たまの日曜日なんかに家でトランペットを吹いていたんですよ。ストレス解消のためみたいでしたけど。
その親父に「これはなんていう音楽?」って聞いたら「ジャズっていうんだよ」と。ジャズが気に入った様子の僕に、「じゃあ今度コンサートでも見に行くか」と言ってくれて、当時まだ小学校3年生でしたがジャズのコンサートに連れて行ってもらうようになったんですね。

ジャズは決まったフレーズはあるけどほとんどがアドリブ。それがもう楽しそうでね。
しかも大人がやる音楽だし、そういう世界ですよね。だから「早く大人になりたいなぁ」と思ったし、「大人は勝手だな、楽しそうだな」って思ったし(笑)。もう「これはやらあいわけにはいかない!」とそのときそんな感じになったんです。

そのころたまたまですが......『スイングガールズ』という映画知ってます?

■ええ、知ってます。見ましたよ。


グレン・ミラー
そのおおもとというか元祖みたいな人がいて、小学生のブラスバンドに初めてジャズを、ジャズといってもアドリブはあんまりない譜面ありきの、グレン・ミラーとかをやらせたという先生が、ちょうど僕の通う小学校にいることを知ったんです。 その先生はコマガタ先生とおっしゃるのですが、上級生の担当なので小3の僕はまだ習えない。

 グレン・ミラー


なんとか会わせてほしくておふくろを連れてコマガタ先生を訪ねたんです。

僕:ウチの兄貴がお世話になっています。
先生:どうしたんだ?
僕:ジャズを習いたいんです。
先生:じゃ、なにか演奏してみて。

ってことになって、スズキ・メソードで習っていた曲を、小学校の講堂で演奏したんです。
僕の演奏はそんなに特別上手いわけではないんですが、ピアノのタッチは強かったんです。
そしたら先生が「強いタッチはジャズにはすごく大事だから」と言ってくれたんですよ。
ただね、「実は僕はもうこの学校にはいられないんだ」って言いだしちゃって。「ジャズのバンドを作るって言ったら校長が怒っちゃって。もうアタマにきたのでほかの学校にいくから」と。

■(笑)ヤバいじゃないですか?

そうそう。それが3駅ほど離れたところにある学校なんですが、先生は「おまえ学校終わったら、放課後僕の生徒のふりして来ないか」と言われて「はい!」と。ただ「ジャズをやるにはクラシックで基礎をきちんとやってなきゃいかん」ということで、クラシックの先生も紹介してもらったんです。

僕は「ジャズがやれるならハノンもツェルニーもツラクナイ」と(笑)。

コマガタ先生も「僕が転校する学校のブラスバンドは日本一になる。その日本一のブラスバンドのピアノをやるわけだから1日3時間は練習して、日曜は学校で練習があるから来い」と。
そんな燃える材料がそろっていたので、クラシックピアノも1年かけて終わらせるツェルニーを1週間でさらいました。 メッチャメチャ荒くですが、やることに意味があるんじゃないか! 的な意味でね(笑)。

でも(自分が通う)学校は別の学校なので毎日放課後練習に参加できるわけじゃないでしょ。そういうときは「家でずっとピアノの練習してテレビは見るな」って言われてたのね。そう言っていながらある日夜中の2時くらいに電話が鳴り、おふくろが慌てて僕を起こしにくる。

僕:どうしたの?
おふくろ:コマガタ先生から電話がかかってきてるわよ。
僕:もしもし
コマガタ先生:『グレンミラー物語』を深夜映画でやってるからテレビ見ろ」と。

■(一同爆笑)スッゴイですね。
井上ヨシマサさん

ね。当時ビデオなんてないわけで「ハイッ!」って言って見たんですよ。
もうロマンスなんですね、映画のほとんどが(笑)。恋物語と音楽がいっしょに進んでいくんです。僕は「大人の世界っていいなぁ、なんてすばらしい世界なんだ」と。

そこにはグレン・ミラーの真実がつきまとうんですね。

『茶色の小瓶』という曲があるんですが、それはあるとき学校で恋人が歌った曲なんですね。「こんなくだらねぇ曲」とか言われるんですが、あるときそれをグレン・ミラーがジャズのアレンジで聴かせるんです。
『真珠の首飾り』という曲には、最初のデートのときにニセモノの真珠しかプレゼントできなかったグレン・ミラーが、レコードが売れてホンモノの真珠をプレゼントするというエピソードがあるんですね。グレン・ミラーが彼女のためにアレンジしたんですね。僕はそれを「こういうものなんだな」とあたりまえのように見ていたんです。

男がピアノって......

あと音楽家の伝記ものとか本もいろいろ読みました。というのも"男がピアノを弾く"のってなんかイヤでね......わかります?

■そういうものですか?

僕、剣道もやっていて学校で暴れまわるやんちゃ坊主で、毎日先生に叱られてるという体でいたんだけど、実は学校を一歩出たらピアノをやっていたというね。

(一同笑)

■なるほど! それならわかります。

ただ、それを「恥ずかしい」って思っているのもどうかと。自分のなかでは「いいな」にしたいじゃないですか。で、さっき言った伝記ね、バッハとかベートーベンを読みあさっていてふと気付いた。「みーんな男じゃねぇーか!?」(笑)。

「じゃあいいや!」ってことで、4年生のとき担任の先生がピアノを習っていることを知っていたのでみんなに発表する場を作ってくれたんですよ。僕も「カミングアウトだぁ!」ってことで弾いたんですが、そしたらその瞬間からモテたモテた。

(一同爆笑)

■そりゃそうでしょうねー。

学校中暴れまわってはいましたけど女の子にはやさしかったですしね。
でもピアノが弾けることを知って「ありえなーーい」みたいになってね。ちょうどそのころTBSの山本文郎さんというアナウンサーがコマガタ先生と仲が良くって、テレビで真っ先にバンドを取り上げてくださったんです。夕方の番組に出演させてもらったり夏休みに学校にレポートに来られたりとかね。
ブラスバンドのコンクールにも出場しましたが、もうダントツの1位ですよ。

■スゴイですねー!

だって、もうみんな泣きながら練習してるし、スリッパやらスティックが飛んでくるし......。

ピアノに感情のすべてをぶつけていた

コードを教えてもらったのもそのころで、音符を読むことはできてもコードしか書いていないから、毎日「えぇー、どうやるんだろ?」なんです。先生に聞くと「とにかくレコードを聴け」と。そんな教え方あるのかなぁって感じでしょう?

あるレコードを聴いて「こうかな」と思ったら「違う、こっち聴け」と。それもまた同じ曲なのにコードが違うので全然違うことをやっているんですね。で、「これは大変だ! そっか自分で編み出すしかないんだな」と、そういうことを4年生のころ思ったんです。

■4年生で。。。

実はビッグバンドってあまりピアノは聴こえないんですよ。途切れたらアドリブみたいなものを入れて、あとはコードを押さえる。 それが音楽と僕の最初の出合いですね。

そのころ聴いていたのは、とにかくグレン・ミラーとビッグバンド。
デューク・エリントン、ベニー・グッドマン、カウント・ベイシーといったオールド・ジャズです。
あのころのジャズはすごく聴きやすくてポップスなんですよね。合間にアドリブが入ってくるようなね。その流れで『愛情物語』とか映画音楽。とにかくぶっといメロディというか普遍的なものに傾倒して、僕も譜面を見ながら映画音楽を弾いて「あ、つまんねぇなこの曲」とか『ビギン・ザ・ビギン』なんて「全然始まらねぇーよこの曲」とかね(笑)。

(一同笑)

僕の場合ですが、ピアノはマイナーのメロディのものがグッとくるわけですよ。ギターをやっていたらまた違ったんだろうとは思うんですけどね。ギターなら明るいコードでもワイルドさは感じられたと思うんですけど。映画音楽を弾いたりしていると、ピアノだとやっぱりせつないもののほうがよくて。もちろん小学生の多感な時期だから、学校じゃケンカしてるし、家に帰ったら怒られるでしょう。そういう自分の感情を表すのにピアノはスゴく合っていたんですよ。

もうめっちゃくちゃな弾き方してたの。壊れるんじゃないかってくらいね。
でも、悲しいときはその悲しみを表現できたし。もう「ピアノには僕の汗と涙がしみ込んでる」って感じだよね。そういうはけ口をみんな持っていたらいいんですよ。

別に音楽に限らず、絵を描く人もそうじゃないですか。あれも「どうやったらいいんですか?」って人に聞いたらもう違うんですよね。うん。「どうやって怒ったらいいんですか?」って聞くのといっしょのことでしょう。ナンセンスな話ですよね。笑いながら「泣き方教えてもらいたんですけど」それじゃムリでしょ。

そういうことなんだと、僕は音楽に対しては常にそういう気持ちでいたから、まあそこに感情を入れられるようになったし、入れなきゃ意味がないと思うし。そこの気持ちを描くわけだし。

コスミック・インベンションでデビュー

そのバンド生活も小学5年、6年となり中学進学の受験の時期が来る。
ふつうのおかあさんたちは受験させるんですよ。(音楽は)「止めさせます」みたいな。
僕は一生ピアノでやるって決めていたので「やめるってなんだよ!」って気持ちになって「困ったな。僕はやりたいけどみんなやめちゃうんだ。どうしよう」と。

そんなときに、ドラムをたたいていた女の子(森岡みまさん)のお父さんがシンセサイザメーカーを作ってる会社(ヒルウッド)の社長さんだったんですね。ローランドとかヤマハに比べると小さな会社だったんですが、作っているものはすばらしかったんです。海外のホーナーとかムーグとかいったラインで直に作れるやつだったんです。
ギターのモズライトを最初に輸入した会社の人なんですよ。グループサウンズの人たちもみんな知ってるし。もともとキーボードが好きで自分で改造するような人なので、輸入ルートはあるし自分でその会社作っちゃおうと。その娘さんが僕と同じように別の学校から通わされていたんですね。

■へえー。そうだったんですね。

僕とベースとドラム。リズム隊はほかからの引き抜き隊で。
で、解散ってなったときにそのお父さんが自社のシンセサイザのプロモーションをやりたいと。
「子どもでも弾けた」みたいなことを(デパートなどの)屋上でやったら売れるんじゃないかということで。当時はシンセっていうと富田勲さんや松武(秀樹)さんのところのは箪笥(たんす)といわれるような積んだものだったんですけど。

それとは別で操作がすごくかんたんなんですよ。
ただ、僕がピアノのタッチで鍵盤をたたくのですぐに壊れちゃってたんですよ、ビヨーーンってね(笑)。
「ビーバーそんなに強く弾かなくていいんだよ」と。当時はビーバーって呼ばれていたんですけどね(笑)。
「オルガンと同じだから」ってね。今はローランドやほかのもピアノタッチのキーボードですけど、当時はヘコヘコですからね。いろいろ改造もしてらい......。小学生のころのブラスバンドは「ニイニイゼミ・ポップス・オーケストラ」っていうんですけど。
そこでやっていたものを5人で演奏できるよと。それが"コスミック・インベンション"だったんです。

サックスの音は5本押さえたら出るし。「あ、いいですね」と。
シンセってよくわからないけど、音楽に携われるならいいやってことで参加して。
で、ずっと屋上でジャズの『サテンドール』とかやっていて、演奏が終わるとおじさんたちが見に来るんですよね、シンセを。社長がそこで説明するんですけど「こんな音も出ます」と自ら演奏してね。まるでジャパネットたかたさんみたいな感じですよね。

■社長自ら(笑)。

そうそう(笑)。「次は福岡だから」「北海道だから」って言うわけですよ。
それ中学校入ってすぐのときです。

■えーーー!? 昔は屋上でよく催事、やっていましたよねー。

そうそう。科学技術館とか、楽器フェアにも出たりしてたんです。

そのころ近田春夫さんが僕らを見つけてビクターに話を持っていったらしいんですよ。当時は誰が持っていったんだか知らなかったんですが、最近近田さんだとわかったんです。
近田さんがビクターのプロデューサーに「デビューさせたらおもしろんじゃないの」ってね。それは(ドラムの)女の子がかわいかったから、「アイドルでやったらいいんじゃないの?」ってことで。

それが最初の『僕のえーーーっ!?』だったんですよ。
「えー? ジャズができるって話だったんじゃいないですか?」と。しかもシンセでやったら僕いちばん前で目立っちゃうじゃでしょ。と思ったら、いつの間にかドラム・フィーチャリングの「ええ!? 今日ドラムの位置すごく前じゃない?」みたいな。

(一同爆笑)

「あれも歌ってみよう、これも歌ってみよう」みたいになって。
作っている人が元ブルー・コメッツのキーボードをやってた小田啓義さんで練習にやってきて指導してくれるんですが、僕は「これ歌ものじゃん......」って。それが最初の悩みでしたね。
百歩譲って、みまはドラムたたいて歌うからジャズにも歌ものはあるのでいいんだけど、なかには「この曲はどうなんだ!?」っていうのがあるんですよ。「これ完全にアイドルだな」別にアイドルはキライじゃないけど、自分がアイドルやるとは思っていなかったから。

(一同笑)

「ありえねーなー」みたいな。僕はディレクターの田村さんにいつも文句を言ってたんですよ。「ちょっとこれ、曲どうなんですかね?」とか。小田さんのことは尊敬していましたよ。小田さん自身のプレイはスゴイんですよ。ジャズも弾けるし。小田さんの歌謡曲を作るってことへの切り替えが僕には見えちゃうし。
「いつもやってる曲だってカッコいいじゃないですか」っていうと「じゃあやろうか」ってやらせてくれるんですよ。
「ただデビューは違うよ」と。えっらいかわいい曲になっちゃって「うわ、ありえないなぁ」と。
でもB面はカッコいいんですけどね。「ああ、両方やらなきゃいけないのかなぁ?」って。
そのうちに、小田さんに「僕も曲書いてきたんですけどできませんかね?」って聞いたら、「ああ、いいんじゃないの! いいじゃんいいじゃん」って......。

■それ中学生のころですよね?

中2くらいかなぁー。

■うわーーー......。早熟です。

アレンジ、ミックスへの意識

いや、でも曲を書くことのほうがかんたんだったんですよ。

■えーーー。ピアノ弾くよりですか?

そう。だって(演奏は)アドリブじゃないですかほとんど。「うわーやっちゃった」ってこともあるけど。曲作りなんて振り返ることができるでしょう? だから全然苦じゃなかったですよ。

■そのくらいの時期にそういう能力というか感覚が養われるってスゴイことですよねー。

かんたんだとあのころは思ったんだけどねー。あははは(笑)。

曲を作り始めたら終わるまで絶対止めないとか。自分のなかでルールを決めていましたよ。アドリブと同じだから、ここで「ちょっと待てよ」と止まっちゃったらそれは死ぬと。曲作りは出だしから最後までとにかく一筆書きのようにやると。一筆書き縛り。
で、直しがくると「うわぁ!!」みたいになるんですよ。「もう直せねーよ、あれノリでいっちゃったし」みたいな。直せるようになるまでには時間がかかりましたね。

で、中学でデビューしてその歌謡曲ってことをスゴく考えさせられて、そのなかでもこれはいいなっていうのとか、これは違うなってのとかっていう(自分のなかの)ものさしみたいなものができてくるじゃないですか。
さっき話した「男がピアノ弾くってどうなの?」っていうものの答えを見つけたいわけですよ。そうすると歌謡曲のなかでももっといいメロディがあるんじゃないかと思ってくるわけなんですね。どうせやってるんだからとそのころから考えていましたね。

そのころになると、(渡辺)香津美さん(ギター)とか山木秀夫さん(ドラム)とか今(剛)さんのパラシュートとか、演奏しているミュージシャンに関心がいってレコードを買ったり。松田聖子ちゃんのミュージシャンってスゴイでしょ。「アレンジは......あ、井上鑑さんがやってる」とか。そういう感じでミュージシャンの方を意識して見るようにしていったら、メロというよりも全体でいい歌謡曲っていうのができるんだなぁって思ったんです。
で、ジャズから今度はビートがあるもののほうに入っていくわけです。

ビートに注目したときに、やっぱりブラックコンテンポラリー系にいっちゃったんですよね。ジャズの流れで非常に納得できる感じでね。アース(・ウインド&ファイヤー)とか聴くでしょう。そうするとデヴィッド・フォスターが出てきちゃうわけですよね。そうするとアレンジとか。あの人って曲はたしたことないじゃないですか......ってたいしたことないなんて言っちゃった。

(一同爆笑)

日本語のサイトだからいいか。

(一同笑)

いやいや、だけどやっぱりアレンジのなかに曲があるというか、フレーズがね。裏メロだったりとか。
でもアメリカってそうだよね、アレンジャーって括りされてるわけじゃないでしょ。
メロディが後からってのもあるんですよ、はじめにリフがあってとかね。音楽として、これ、メロはたいしたことないけどドラムの音すげぇなぁとか。もちろんそういう聴き方ですよ。

"耳に入るものすべてを作品として聴く"という解釈をしていくうちに、両方やらねばと。当然ですよね。ベートーベンだってみんなそうだったわけですから。「ちょっとメロできたんで、シューベルトくんアレンジ頼むよ」ってことはないですよね(笑)。

(一同爆笑)

「メールで送っとくから」ってそれもないわけで、当然作曲家ってのが全部やるわけだから。

「チェロもっとこっち」とか、「ティンパニ後ろ」とか。きっと編成も含め、フォーマットがなかった時代にあれができていったわけですから。距離感とかぜーんぶ考えてやってたわけですよね。

それが今、「仕事です」っていったときに「じゃあ、あとミックスよろしくねー」ってのはあり得ないと思っているんですよ。 「なんで第2バイオリンがこんなにでかいんですか?」とかシェイカーはいちばん前でドラムよりでっかくやってていいのに、ミックスすると、ま、僕の打ち込みがまずかったのかもしれないけどすっごく小さな音でチコチコいってたりするわけですよ。

「あれぇ~~。......それ言っていいんですかね?」って感じでしょ。相手は大御所のミキサーさんですよ。
でもね、新人のアレンジャーの僕が大御所のミキサーさんに対して言っちゃったのね。そしたらケンカになって、僕もあったまにきて扉蹴っ飛ばして帰ったりとか。「クラシックでも録ってろよ!」って。
でも考えてみたらクラシックには編成が大事なわけだから、つまりバランスが大事だってことなんですよ。ポップスはそれを自分で構築しなくちゃいけないわけじゃない。それで自分でミックスもやろうと思ったわけなんです。

そんなときに相棒が現れて、マニュピレーターっていう仕事の人なんですけど。シンセを自分で積んで持ってきてアレンジャーの欲しいって音を作る人なんですけど、松武さんはそのトップですよ。
角松(敏生)さんのオペレータやっていた人(久保幹一郎氏)がいて、1歳しか歳が違わないんだけど、一度頼んだんですよ。そしたらノリがよくって、冒険するし。

「じゃあ二人でアレンジャーってことでいいから最後まで仕上げようよ。
耳に聞こえるものはみんなアレンジだから」と。それでATOM(アトム)を組んだんです。そのとき中山美穂ちゃんの『ROSA』とか作りました。僕はもちろん曲を作っていたんだけど、彼のところに持っていってテレコを買ってミックスまでやっていました。ラジカセで。

■おーー!

うん。アルバムもやってくれって言われて「やるやるやる」って。それで今はスタジオも持ててこういう状態ですけど、ずっとこういうのやりたくてね。あのころはマンションの一室でしたけど、そこでやり始めていましたね。

音楽のジャンルの流れでいくとそんな流れです。

つながるということ

■驚きですね。そういう環境があったことも含めですが。

環境があってもそれだけじゃダメですよ。
子どものころ、友だちからは「野球やろうぜ」って誘われるし。でも僕はそこはいっちゃダメなんだと思っていたわけですよ。どっちが幸せかは別ですよ。下町なので祭りとかやっててみんなそこに集まっているけど、「別にいいっか」って。
遠いけどつかめそうな目標があったし。

あと大事だったのは常に1人から1人につながっていくという経験を小学生時分からしていること。出会う人みんなを非常に大事にしています。
最初コマガタ先生に出会って「僕ジャズやりたいんです」と。で、先生にはクラシックの基礎の重要性を言われ、クラシックの先生も紹介してもらいました。
その先生の紹介で中村二大さんにも出会えたし、その流れで僕らの後輩のビッグバンドもできて、それはコマガタ先生が別の学校で作ったんですが、そのバンドはカウント・ベイシーと共演しているんですよ。僕のときはなんか逃しちゃって。僕らは母体づくり。

コスミック・インベンションもみまちゃんのお父さんがいたからできたし、「えーっ」て思いながらもなんとか自分のなかでせいいっぱいだったし、そのときのディレクターが田村さんで、コズミック辞めて自分でソロやりたいってときに田村さんに持っていって。「じゃあソロアルバムやろう」とそのときにシャープス&フラッツという僕が子供のころ見に行ってたジャズのバンドが演奏してくれたんですよ。

■すべてつながっていますね。

そうなんだよね。ソロは5,000枚しか作っていないんです。最高に売れても5,000枚。
それはたいして売れなかったですね。プロモーションの時期に作曲家としての活動が急に忙しくなり、自分自身がプロモを積極的にやった記憶がないんです。19歳のころです。

お金もないし、バイトしてつなぐってのもなんだし、音楽をやってなんとかしたいと思って「なんかないですか?」って聞いたらそのとき大ブレイク中の「キョンキョン(小泉今日子さん)に書いてみる?」ってことで書いたんです。
自分のなかでアイドルっぽいのとカッコいいのを分けていたので、かわいい曲を書いていったら田村さんがえらく不機嫌で「なんでそんな分けて書いてるんだよ。自分の好きなやつ書けばいいじゃん。どうせアルバムだし」みたいな、あははは(笑)。

(一同爆笑)

それは言わないですけど、僕を大事にしてくれていたから。
で、書いて持っていったらできあがりがスゴくよくて。そのときにアレンジをやってくれたのが鷺巣(史郎)さんで、けっこうかわいがってくれてアレンジするスタジオに呼んでくれたりとかね。そのときにマネージャーをやっていらしたのが時宗さんって方で、その人も(筒美)京平さんのマネージャだったんですよ。時宗さんに曲持っていけばいいのかなってことで持っていって、バイトしながらですけど。

作家活動

そうこうしているうちに作家活動もせねば、みたいな状態になったんですね。そしたらその思いは田村さんにも伝わるし。時宗さんも僕のことプレゼンかけてくれていたし。なんか"決まる感じ"になっていったんですよ。

そしたらキョンキョンの仕事の流れもあるし、田村さんから「作家でいけそうなんだから事務所作ったらいいんじゃないの」って「えーーーっ、そこまでではないんですけどー」と言ったんですが、「じゃあやってみようかな」って。そしたら別のお話をもらって、そこは若手ベテラン関係なく、いい曲なら使うところだったのね。そこの人も「こんな若い奴が作家やろうとしてる」っておもしろがってくれて「じゃあ、こういうの書いてみて。絶対決まんないけど。書いて、絶対決まんないけど」って冗談混じりですよ(笑)。

(一同笑)

僕は仮歌入れたり雑用係としてスタジオに呼ばれたんです。そしたら自分の書いた曲に決まって、アレンジが中村哲さんで。そこにいらしたミュージシャンの方に紹介してもらったんです。僕、さっき言ったようにミュージシャンのこと調べていたし、だから僕がアレンジの仕事するときはお願いしますってアタマ下げて。そういう流れで、初めてアレンジの仕事でレコーディングに参加してもらったミュージシャンは山木さん、今さん、大仏さん(高水健司さん)なんですよ!

■うわ、すごいです!

スゴイでしょ(笑)。
その仕事のディレクターのクラナガさんが尾崎亜美ちゃん担当だったんですよ。クラナガさんはロビーで尾崎亜美ちゃんと打ち合わせをしていて、別プロジェクトのアレンジを僕に任せていたからそのメンバーがいるじゃないですか。打ち合わせしていた亜美ちゃんは、当然そのメンバーを知っているからスタジオにやってきて「私、仮歌入れる」って言うんですよ。
僕の最初のアレンジの仕事は尾崎亜美仮歌、そしてさっきのメンバーと。

■すごーい。

スゴイでしょ。だからね、さっきの続きだけど、全部つながって脱線していないんだよね。つながってる感じ。
そういうことが大事だなって。

音楽よりも非常に営業マンっぽいけど、子どものころから当たり前のようにあったんですよ。「この人裏切ったらもう次ないな」って。そう。みんな家族みたいにつながっていっちゃうんだなぁって感覚があるから。だからたまにそうじゃない人見ると「え~~~っ?」って思うわけ。「辞めちゃったの?」って、わかる? そういう見方をすると井上って仕事っぽいねって見えるわけじゃない。天性の営業マンみたいな。でもそうじゃなくて"仕事"とは考えていないんですよね。
音楽をどんどん高めていきたくって、そのなかで出会った人たちだから。

このあいだ、ある会社の若手の悪口大会みたいなのに出たんだけど、僕は会社やっていないからわかんないけど、話を聴いていると辞めちゃったり、帰っちゃったりするんですね、若手の人は。

なんでかなぁって思ったら"仕事"と考えているんだと思うんですよ。
「(午後)11時なんですけど」って。その会社はクラブイベントをやってるところからできた会社なんだけど、そういう人たちだらけでやってきたところに今の若い人たちが入ってくると「いやぁ、11時ですか?」みたいなことを言ったりするんだって。 いやいやスタートですよね、イベントで11時っていったらね。電話で「今から井上先生連れていくから、おまえ絶対待ってろよ」って言ってるわけですよ。「先生なんて言わないでよ」とかこっちも言ったりしてね。
「だから待ってろよ」とか(自分が)上司なのに言ってるんですよ。で、電話切ったから僕が「どうしたの?」って聞いたら「あいつ帰るって言ってんだよ」って。

僕は会ったことないし「いいけど、どうして部下なんじゃないの?」って聞いたら「現代っ子なんだよ」って。それから30分後くらいに行ったら帰ってたの、その部下。

(一同爆笑)

「次の日言ってやる!」って言ってたから、次の日にメールで「現代っ子に言ったの?」って聞いたら、逆に「現代っ子に怒られた」って。「あんな時間に電話するなんて勘弁してくださいよ」って言われたって。
それ、僕は理解できないんですよ。行けばなんかもっとおもしろいことが起こるんじゃないかって思うし。そこでいい人と出会って、それで会社辞めるならそれは裏切りのルートではないような気がするのね。
わかる? そのちゃんとやっていったあかつきに次の扉が開くっていうの。そこは大事にしているんですよね。

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