ギターラボ トップ > 東京ローカル・ホンク > 東京ローカル・ホンクインタビュー Vol.1

東京ローカル・ホンクインタビュー Vol.1

耳なじみのないバンド名かもしれませんが、一度そのサウンドを耳にすると忘れられないのが彼ら、東京ローカル・ホンク! 久保田麻琴さんがプロデュースを手がけたアルバム『東京ローカル・ホンク』が5月11日にリリースされる彼らを直撃!
メンバーは木下弦二さん(vo、g)、井上文貴さん(g、cho)、新井健太さん(b、cho)、田中邦雄さん(ds、cho)



左より:新井健太さん、田中邦雄さん、井上文貴さん、木下弦二さん
左より:新井健太さん(b、cho)、田中邦雄さん(ds、cho)、井上文貴さん(g、cho)、木下弦二さん(vo、g)

以前は「うずまき」と名乗っていました

4月中旬。都内某所にあるスタジオ。東京ローカル・ホンクのみなさんにインタビューするため六本木よりやって来ました。

インタビュアーがセッティングしたMDレコーダーに反応するメンバーのみなさん。「これは初代だねえ」「○ニー・タイマーが仕込まれていないやつだね」「初代って意外と長持ちするんだよね」などと話に花が咲くいていました。気さくな感じの人たちです。

■はじめまして。Yahoo!オークションです。このたび久保田麻琴さんよりご紹介を受けまして、東京ローカル・ホンクのみなさんにお話をうかがいにまいりました。どうぞよろしくお願いいたします。

メンバー一同(以下「一同」):よろしくお願いします。

■まずは音を聴かせていただいた感想なんですが、「ひじょうにいい」と思いました。

一同:おおー。うれしいですねー(笑)。

■隣の席の、音楽にけっこううるさい同僚に聴かせたら、「いいじゃない」ってすぐに反応していましたよ。

一同:ありがたいですねー。




木下弦二さん ■現在の「東京ローカル・ホンク」を名乗る前は、違う名前で活動なさっていたんですよね?

木下弦二さん(以下「ゲンジ」):ええ、2001年までは「うずまき」って名乗っていたんです。「うずまき」という同じ名前のバンドがその後いくつか出てきまして、なかでも漢字表記(宇頭巻)のバンドがわりとメジャーで押してきて、CDショップの取次ぎが間違えるような事態になっちゃったんです。
このまま続けてもいいけど、間違われるんじゃしょうがないかなって思っていたんですね。そのころちょっとしたコンピレーション(アルバム)の話が来まして。これを機に名前を変えちゃおうか、ということになったんです。みんなで会議して、ひとつ決まりそうになったときに久保田さんから意見が出てきて、「あーでもない、こーでもない」と。で、最終的には久保田さんの意見を取り入れることにしました。

そういう紆余(うよ)曲折があって、この名前に決まったんです。まずは絶対にほかのバンドとかぶらないことが命題だったんですね(笑)。

新井健太さん 新井健太さん(以下「アラケン」):弦二くんのなかではずいぶん以前から「東京ローカル」まではあったんですよ、アイデアとしてね。

ゲンジ:ぼくらのまわりには、プロで活躍している人たちよりもいい楽曲を作ってやっている人たちが多かったんですね。そういう人たちで集まって、それを「東京ローカル・サウンド」というくくりでアルバムを作って打ち出そうか、という話をしていたことがあったんです。
そしたら久保田さんが「東京ローカルサウンド、っていうのはPA屋さんみたいだからもうちょっとひねったら」っておっしゃっていたんです。だから「東京ローカル」まではあったんですね。

■それが「ホンク」になったと。

ゲンジ:でも今となっては「そうだな」って感じですね。

アラケン:うん、慣れちゃったしね。




これからいろんなところにライブにいきたい

■うずまき時代から、活動の拠点は東京都内なんですね?

ゲンジ:そうですね。うずまき時代も含めると、北関東とか静岡まで足を伸ばしたこともありましたけど、中心は都内ですね。

アラケン:浜松に行ったときに新しいバンド名を考えていたじゃない。

今村桂子さん(スタッフ):あの浜松と静岡のライブが、うずまきとしての最後のライブだったじゃない。

ゲンジ:そうか、そうだったね。今も活動の拠点は都内なんですけど。今度は新しいアルバムのプロモーションのために大阪、京都へ行く予定なんです。あと滋賀に友だちが住んでいるので、そちらにも。
ぼくら新しいアルバムを作るのに、ものすごい時間がかかったんですよ。だからアルバムができる前に、あちこち行っても売るものがないというか。今の音(新しいアルバム)を聴いてもらって「これなんですよ!」って言いたかったんですね。
だから気持ちは十分にあったんですが、地方すみずみというわけにはいかなかったんです。新しいアルバムが出てから行こう、と。




田中邦雄さん ■なるほど。ではこれからいろんなところにライブをしに行くんですね。

ゲンジ:そうですね。もともとは、みんなそれぞれロックバンドをやっていたんです。でもうずまきの初期のころはアコースティックをやっていたんですね。いわゆるアンプラグドで、思いっきりミュートしたドラムと、ウッドベースと生ギターと生声で、ライブハウスの空調を止めてもらってシーンとしたなかで演奏するみたいなことをやっていたんです。だからすごく小さなライブハウスでもそこに合った演奏ができるし、大きなハコならそれなりの演奏ができるし。いろんなところへ行ってやりたいですね。


4年かかっちゃいました

■ではこのへんで、新しいアルバムのお話をお聞きしたいと思うのですが、プロデューサーは久保田麻琴さん。この人選というのはアルバム制作前から決まっていたんですか?

ゲンジ:そうです。そのいきさつを簡単に話すと、ぼくとドラムの田中くんはもともと麻琴さんの音楽が好きだったんですよ。ミュージシャンとしての立場というか。

田中邦雄さん(以下「クニオ」):立ち位置ね。

ゲンジ:そう、立ち位置ね。日本人というアイデンティティーを、琴とか三味線とかに頼らずに出していく姿勢や、ルーツミュージックにかかわっているところと、アジア全般でおもしろいと思えるものを紹介していたのが麻琴さんだということで、すごく尊敬していたんです。
ファーストアルバムの作業をしていたスタジオに、そこはいろいろな方が作業をしに来られるのですが、ある日麻琴さんもいらしたんですね。ぼくらのエンジニアをやってくれてる人が、麻琴さんにアルバムを聴かせたところ、気に入ってくれたようで「会わせるからすぐ来い」ってエンジニアさんから電話が来まして。駆けつけると麻琴さんがぼくらのアルバム(Yahoo!オークション注:1999年10月1日リリースの「ヒコーキのうた」を指します)を持って「これすごくいいよ」って言ってくれたんです。

ぼくも「ファンです。これこれのアルバムは好きですが、こっちはあまり好きじゃないです」って話をしていたら、「送ってやるから車に乗りな」って言われて。最寄り駅までのはずだったんですけど、車で話し込んでしまってグルーっと遠回りしたんです。それが最初の出会いでした。
「ライブ見に来てください」って連絡したら見に来てくれまして、その後「いっしょに何かできないかな」って電話があって、やりとりして。デモ作ったり……。麻琴さんはとにかく行動に移すのが早いんです。ぼくらはこうゆっくりゆっくりって感じなんですけど、麻琴さんはスタジオ押えちゃったりとか、日にち決めたりとか。「やるからね」って言われてから、こっちがみんなで「どうする? どうする?」って感じだったんです(笑)。


井上文貴さん 井上文貴さん(「ブンちゃん」):2000年だっけ?

クニオ:2001年の正月だね。

ゲンジ:そうそれで横浜でデモとったら、「シンガポールのスタジオ押えたから行こう」っていきなり。「えー? まだ準備が……」「行けばなんとかなる」ってこうなんですよ(笑)。

アラケン:あっはははは(笑)。

ゲンジ:それが今回のアルバムのとっかかりですね。「とりあえず作っちゃえばいいんだよ。あとでどうにでもなるから」って。そんな感じなんですね。それでぼくらがうまく乗れた部分と、乗りそこなった部分があって。それを埋める作業に4年がかかったんです、ぼくらなりに言えば。「ぼくら」の言い分ですけどね(笑)。


---アルバム制作に4年! すごい長さですね。なぜそんなに長くかかってしまったのか……。次回以降で明らかに。
●撮影・文/Yahoo!オークション



「東京ローカル・ホンク」オフィシャルホームページはこちら

登場アーティスト

キーワードで検索!

キーワード : カテゴリ指定 :    
検索オプション